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わたしの想い

わたしがフォトグラファーとして大切にしていること知っていただくページとなっています。

その想いを伝えるにあたり、2022年、妻の身に起きた出来事をここにまとめました。

この出来事を公開することで、私が大切にしている想いをより理解していただけると思ったからです。

かなり長い文章なので、お時間がある時にでもぜひ☺︎​​

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2022年7月

 

妻に髄膜腫という脳腫瘍が見つかりました。

脳腫瘍の中でも最も多い腫瘍で、未だに原因がわからない病気です。

妻の場合、数年かけて大きくなった腫瘍が成人男性のこぶし大ほどにまでなっており、

その症状がこのタイミングで発症したようでした。

​ここまで大きくなるのは異例で、医学の教科書に載るレベルのものだったそう。

(ちょっとショッキングなレベルのCT画像があるのですが、ここに載せるのは流石にやめときますが、

気になる人はご連絡ください。笑)

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それまでごく普通に過ごしていた日常がガラリと変わり、

フォトグラファーとしてもその在り方を考えさせられる出来事となりました。

​​

4月には旅行先の山梨県で体調が悪化し、現地で救急車を呼ぶ事態になり、徐々に体調を崩し寝込むことが

多くなりましたが、発覚するまでは症状が起きても寝たら治ってしまうことから

​貧血かな?とすぐに病院にかかることもしませんでした。

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⇧最強に体調が悪くなった日の朝。宿泊先の宿にて嘔吐が止まらず。この後、ほうとう屋にいくがそこで倒れ救急車で運ばれる。

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2022年7月

たまたま妻がお姉さんとランチに行った際

料理に箸をつけることなくその場で倒れ、

夜間に救急で診てくれる脳外科医のいる病院に運ばれて着いた途端に吐血、CT検査を受けました。

その時に脳腫瘍が発見されたのですが、この時はまだその腫瘍がどこにあるか分からず、

​幸いにも手術で取り除けそうな位置に存在していることが後から発覚し、家族に知らされることとなりました。

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妻が最初に運ばれた日の夜は撮影をしていたのですが、仕事があるのを知っているにも関わらず

妻から着信があった時に「何かあったな,,,」と勘付き、すぐに折り返した電話の向こうで​お姉さんがでた時に覚悟を決めました。

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2022年8月

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入院の日が決まり家族で妻を見送った後、なんとコロナ検査で無症状の陽性がでてしまい一旦自宅待機に。

でも、その時にはすでに一人で病魔に耐えられるほどの体力はなく、​家に帰った三日後、

深夜に救急車で運ばれ、そのまま緊急入院することになりました。

まだコロナ真っ只中だったため、救急車には同乗することが出来ず、

妻一人を乗せた救急車が見えなくなるまで見ていることしか出来ませんでした。

この日ほど、自分の無力さを感じたことはなくて、ただただ寂しさと不安に押しつぶされていました。

病院に到着後、そのままコロナ病棟に移され、やっと連絡がとれたのは次の日のお昼過ぎ。

​少しは元気になったようでしたが、緊急手術はその翌週行われることが決まりました。

あと私が出来ることは、執刀医の先生と神様仏様に祈ることのみ。

​家族親族全員が手術の無事を祈りました。

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手術前日

土砂降りの大雨の中、普段参拝している大好きなお寺で最後のお参り。

涙が出るくらい不安な気持ちを全て仏様に伝え、これまでにないほど、一心に祈る​。

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参拝を終えた後、大雨は嘘のように晴れ、境内から見上げた空には大きな虹がかかっていました。​

​風鈴の音色が心に優しくて、きっと見守ってくれてるんだと信じながらお寺を後にしました。

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2022年8月18日

手術当日

妻のためにチームが編成されました。

手術の予定は8時間。

10時からスタートして無事に終わりの連絡があったのはぴったり18時。

お義母さんとの電話ではお互い涙で言葉にならず、、

本当に安堵したことを覚えています。

ただ、長年積み重なった腫瘍が触れてはいけない神経に癒着しており完全には取りきれず。

​後遺症として、今でも妻の左腕には感覚が戻らない麻痺が残りました。

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2022年9月

束の間の日常がどれほど愛しいものなのか。

テレビやドラマの世界でしかなかった現実が自分ごととして起きた時、

初めて当たり前なことなんて何もないのだと身をもって実感することになりました。

そして、放射線治療の入院前に籍を入れようと、地元の千葉県勝浦市で婚姻届を提出。

その二日後に横浜の病院にて入院。

​そこでは面会の規制が緩く、仕事終わりに面会に行くことが出来ました。

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2022年10月

約一ヶ月半、毎日の放射線治療で髪の毛は半分以上抜け落ちました。

かかりつけ医の話では、抜けた髪は来年の夏には普通に戻りますよと言われましたが、本当にそうなるのか。。

​今の状況を見ると、そう信じるには少し時間がかかりました。

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2022年11月

退院前最後のMRIをとり、回復の進行具合では局所的に強めの放射線を集中照射させるガンマナイフという治療をしなければならず、

それによってまた頭蓋骨に穴を開けて固定をさせるとか、、、

おそらくそうなるであろうという予想だったが検査の結果、なんとガンマナイフをする必要のないくらい今までの治療の

効果がでていることが分かり、このまま退院できることが決まった。

普通ではほとんどあり得ないことだそうですが、この時にも目に見えない何かが力添えしてくれたのだと、

​今でもそう思っています。

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2023年8月

手術をしてから一年後。

かかりつけ医の先生が言っていた通り、髪の毛は以前のようにまた生えてきた。

ただ、未だに部分的な麻痺が残っていて、これが元通りになることはないとのこと。

妻の場合、他の腫瘍と比べて再発率の高い異型の髄膜腫。

幸いにも今のところ経過は順調だけど、いつどうなるか分からない。

その事実を常に抱えながら、私たち夫婦は生きています。

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そして、2025年5月9日

腫瘍の再発が確認された。

4か月前の検査から1cmほど大きくなっているとのこと。

それを告げたれた時、一瞬言葉を失い妻と顔を見合わせた。

かかりつけ医によるとやはり腫瘍の成長がかなり早いらしく、今のところ放射線でしか対処する術がないとのこと。

でも、人体に当てることができる放射線量は決まっている。

医師と相談しながらの治療生活が、また始まることになりました。

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現在

私が写真を通して伝えてたいこと。

それは、隣にいる大事な人が、

明日もそばにいてくれる保証は何ひとつないということ。

本当に、毎日が愛しい日々だということ。

そんな日々をカタチに遺せるとっておきが写真です。

写真とは、そっと背中を支えてくれるものであり、

希望であり、時には破り捨てたくなるほど

憎らしく思うものでもあります。

​ですが、写真とは映さないと遺りません。

5分先の出来事も分からない世界で、

撮ってよかっと思えるのは明日なのか、それとも10年20年先の未来にあるのか。

写真が身近に溢れる生活の中で、

決して安くない金額を払ってまで取りたいという行為は

とても尊いことだと思います。

そんな尊い行為だからこそ、

フォトグラファーとして写真で人に貢献したい。

そう思うようになりました。

写真とは、この世界になくてはならないもの。

私たちにとっては生きる術であり、

​それがあるから想いを届けることができる。

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長い文章をここまで読んでいただき有難うございます。

最後にもう少しだけ。

この出来事から、

私たちは常に死が隣り合わせにあることを自覚しました。

普段の生活では、なかなかそう実感することは難しいかもしれませんが、

正しい死生観を持ちながら生きることは人生を充実させてくれます。

死を意識することは悪いことでしょうか?

口にすることは縁起でもないことでなのでしょうか?

私は決してそうは思いません。

いつ何が起こるか分からない時代を私たちは生きています。

少しでも私たちの想いが誰かに届き、今ある幸せを実感していただけるよう

​フォトグラファーとして写真を撮り続けていきたいと思います。

​有難うございました☺︎

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